わたしたちは光と陰のなかに生きている。

「地獄のオルフェウス」

作:テネシー・ウィリアムズ

訳:広田敦郎

演出:岡本健一

舞台監督:臼田典生

企画制作:tpt

出演:保坂知寿、中河内雅貴、占部房子

   北村岳子、植野葉子、花山佳子、秋定史枝、梅村綾子、今井彩、大岩さや、

   岸田研二、伊藤公一、中川香果、ヒバゴン多賀谷、石橋祐、高山春夫


~あらすじ(tpt公式サイトより)~

アメリカ、ディープサウスの小さな町。ここでは変化は永遠に訪れそうにない。ところがある日、蛇革のジャケットを着た若い男ヴァル・ゼイヴィアがギターを手に町へ流れ着くと、人々の満たされぬ欲望が炎となって渦巻く。なかでも情熱をかき立てられたのは、長年愛のない夫婦生活を続けてきたレイディ・トーランス。ヴァルとレイディが手にした愛と自由は、昔ながらの偏見と差別に満ちた町では大きな代償をともなうものだった。


12月18日、マチソワで観てきました。暗いとか難しいとかつらいとか、観た人の感想はそういうのばかりだったけど、一貫して評判はよかったし、なかなか期待してました。知識があったほうがいい、ともあったけど、時間もなかったし(なんせ卒論地獄まっただ中)元になってるギリシア神話のあらすじをさらっとおさらいしたくらい。


前知識なしでマチネを観て、合間にパンフのインタビューを読んで、ソワレを観た。戯曲だからなのか、言葉が波のように襲ってきて、聞き取りながら理解することが難しい。やっぱり2回観ると分かることもあるし、違う角度から観ることで新しい発見もある。だからわたしは最低2回は観たいんだよ~。


評判どおり、本当に難しいお話だったので(これについては後述)、登場人物をおさらい。

・ヴァル…ギター弾きの旅人。町に流れ着く。自堕落な放浪生活をやめ、まじめに働くと決意。レイディと恋仲に。

・レイディ…ジェイブの妻。18歳の時にジェイブに買われ、愛の無い結婚生活を送る。父が焼き殺される過去を持つ。

・ジェイブ…レイディの夫。重病で床に伏せている。レイディの父の果樹園に火を放った団体の一人。

・キャロル…露出狂の猥褻浮浪者。偏見と差別の町においてただ一人、欲望と自分にまっすぐな人。

・ドリー&ビューラ…噂話が大好きな婦人。異端者のキャロルを嫌う。

・ピーウィー&ドッグ…ドリー、ビューラの夫。ジェイブ側の人間。

・ヴィー…絵描き。タルボットの妻。仕事を求めていたヴァルをジェイブとレイディに紹介する。

・タルボット…保安官。自分の妻を誘惑したとしてヴァルを敵視。

・エヴァ&シスター…ジェイブを慕っている敬虔なキリスト教徒の姉妹。異端者のキャロルを嫌い、下品な噂話を嗜むドリーとビューラを見下す。

・デイヴィッド…キャロルの兄。レイディの元恋人。レイディを裏切り、金持ちの娘と家庭を築いている。

・ポーター…ジェイブの看護師。病人に対し気遣いのない周囲に嫌悪感を抱き、愛人との子を喜ぶレイディを軽蔑する。


レイディの父は禁酒法時代、ムーンレイクのほとりに果樹園をつくって、ワインガーデンを営んでいた(密売)。ワインガーデンは人気を博したけれど、黒人に売ったことで秘密結社が動き、果樹園に火が放たれた。レイディの父は一人で炎に立ち向かい、生きたまま焼き殺された。


人間関係複雑!(笑) 結局、レイディの父を焼き殺した人はジェイブしかわからなかったけど、もしかしたらタルボットらも関係しているかもしれない。(タルボットは「苦手なんだ、暴力は。」とヴァルに言っていたけれど、まあただの脅しかもしれない。実際、最後ヴァルへの制裁に加わっていたし。)


ヴィーの役どころがいまいちわからなかった。ヴァルによくしてくれていたし、レイディとジェイブに絵を贈っていたし、ビジョンが視えるという能力を持っているから特殊な存在でもある。けれどタルボットの妻だし、ビジョンを視て「目が焼かれる~~」って言って退場。彼女はどちらでもないのかな。

彼女が視たビジョンは、ヴァルの未来だったのかもしれない。ヴァルが焼き殺されるビジョン、つまり目が焼かれるほどの炎を視たのかもしれない。そういう意味で、キャロル同様、ヴァルに危険を知らせに来たのかも。


軽い気持ちで観れる作品じゃない。とりあえず精神的に健康でないと観るのはつらい。ナイフで刺される感覚に陥ることが多いのに、生半可な覚悟で観たら最後にとどめを刺される。


それぞれの人間性や考え方が、1935~40年頃のアメリカ南部の町という閉鎖された空間では普遍的でも、現代の日本に生きる私たちにとっては理解し難いものであることと、時代背景の知識が浅いこと、あと長いセリフ回しとか、当時の戯曲らしい言葉の表現とかが難しい印象を与えているんだと思う。けれど実のところ、むき出しにした感情の交錯がありありと描かれていて、人間の本質をまざまざと見せつけられている感じ。そういう意味でとても分かりやすく実直な作品だと思う。


~神話あらすじ(岡崎大樹さんブログより)~

竪琴の名手のオルフェウスがヘビにかまれて死んだ奥さんを冥府(地獄)に助けに行って、演奏によって地獄の王ハーデスを説得し奥さんの奪還を許される。ただし「地上に連れ戻すまで奥さんの手を引いて、しかも奥さんを振りかえったらだめよ」という条件があったが、オルフェウスは最後の最後、地上に出る直前で、奥さんが心配になって振りむいちゃうっていう話。

オルフェウス=ヴァル、妻=レイディ、毒蛇=ジェイブ なのかなあ‥。もしかしたら地獄の王=キャロル?わからないけど。

毒蛇に噛まれたエウディリケを救いに地獄に下りたオルフェウスが、地獄から逃げ出す途中で振り向きさえしなければ二人とも無事に救われたはずだった。けれどオルフェウスはエウディリケが心配で、愛ゆえに振り向いてしまって、結局エウディリケは地獄行き。


ヴァルが30歳を迎えて立てた信念を盾に、振り向かず黙ってレイディの前から去ってさえいれば、ヴァルは死ぬことはなかった。レイディのお腹にはヴァルの子供がいて、毒蛇の旦那もすぐに死ぬのだから、彼女は救われたはずだった。ということかな。

でも、レイディは満足して死んでいったと思う。確かに死んだら何もかも終わりだけれど、レイディはヴァルとの子を宿すことに大きな喜びと優越感を感じていた。看護師ポーターに妊娠していることを教えられて、それまでは去っていこうとするヴァルに「置いて行かないで」と悲願していたのに、子がいるとわかった途端、「逃げて」と言う。

かつてデイヴィッドとの子供を堕ろし、愛のない生活を送ってきた彼女にとって、“愛する人との子供を生む”ことが何よりの幸福だったのかもしれない。生むことは、できなかったけれど。

父の仇であるジェイブに対して、復讐のように父のワインガーデンをカフェに再現し、愛する人と結ばれ、愛する人との子を宿すことで、優越感に浸っていた。無花果の木に実がなった話に今の自分を重ね、ラッパを吹き鳴らし、高らかに声を上げる。「私の勝ちよ!」 その様は狂気に満ちていた。


そんなレイディの姿を見たヴァルは「今朝から変だよ!」と言うが、レイディは「そんなの初めからよ!」と言う。レイディは父が焼き殺され、ジェイブに買われた15年前から、狂い始めたのかもしれない。ヴァルはレイディまでもが狂ってしまったことに、絶望したのかな。「こんなところに彼女を置いていけない」と思ったのかな。結局彼は、レイディを見放すことができなかったわけだ。

彼にとっても、彼女は特別な存在だったから。「帰ってくるまでに出ていこうと思っていた。でもどうしても伝えたいことがあって。今まで誰にも言ったことがない言葉。――君を心から愛してる、レイディ。」今までの女たちのように知らんふりをして去ることができなかった。


ヴァルがキャロルに言っていた言葉。「俺は女を追いかけることはあっても女から逃げたことは一度もないよ。」これは彼のエゴだ。

レイディはこの結末に満足だったかもしれない。ヴァルとの子の存在に救われただろうから。一時でも幸せを掴み、ジェイブを裏切ることで、ジェイブへの復讐を果たせたから。でも、ヴァルは違うだろうな。「この町の空気に馴染めないんだ」「そろそろシャバに戻らなきゃ」彼にとっても、その町は監獄だったのだろう。彼はここで死ぬことは決して望んでいなかった。もともとレイディを置いて逃げようとしていたのだから。レイディを愛するがゆえに、振り向いてしまった。逃げ遅れてしまった。


ヴァルはレイディに足のない鳥の話をする。ひたすら飛び続け、寝るときは風に乗り、地面に降りるのはたった一度、死ぬ時だけ。レイディは言う。「なれるもんならなってみたい」。

レイディは死に対して誰よりも畏怖の念を持っていたと思う。憎いジェイブでさえも「私は誰にも死んでほしいなんて思わない。」「死は恐ろしいものよ。」と思っている。けれど三日三晩眠れない時に「死にたい、死にたい、死にたい。」と嘆いていた。彼女は死ぬことを望みつつも、死ななかった。それは「愛する人と暮らし、子供を生む」という“ありえない”希望と、父のワインガーデンを再現するという復讐心を持っていたからかもしれない。そんな時にヴァルと出会い、レイディにとってヴァルは鳥であり、光であったから、ヴァルが生きる希望になった。「あなたが必要なの。生きるために。生きていくために。」


ヴァルが蛇革を着て放浪をはじめたのは15年前。レイディが父親を焼き殺されて死神と結婚したのも15年前。この15年という年月に、ヴァルとレイディの精神の差があるように思う。ヴァルはずっと“足のない鳥”を追いかけ続けていて、レイディは“足のない鳥”である彼に焦がれる。けれどレイディは傀儡の猿であることを選び、ヴァルは地上に堕ちた。レイディにとってヴァルは闇の中の光だったのに、そのヴァルも闇に飲み込まれてしまう光景はつらい。燃え盛る炎のような4ヶ月と5日の物語。


どこかで聞いた「この世の中で一番醜く残酷な生き物は人間である」という言葉が頭に浮かんだ。黒人に酒を売っただけで果樹園に火を放ったり、警察犬が囚人を噛み殺したり、不倫をした妻を撃ち殺した挙句、その愛人に罪を被せて焼き殺したりする時代ですから、現代の私たちにそれらが理解できないのは当たり前だけれど、私は彼らを見て思った。「狂ってる」。特にジェイブらがヴァルを追い詰めている時、「面白いものがあるぞ!」とバーナーを掲げている光景は、狂気の沙汰だ。

でも、それが彼らの人間性であって、そういう町だったのだ。特別な人間なんていなくて、エゴと嘘にまみれた世界で、みんなただ必死に生きている。他人を蔑み、煽て、身を守る。そんな中で、ただ一人だけ“本音と建前”がないのがキャロル。占部房子さんの演技にはぐうの音も出ない。本当に素敵で魅力的なキャロルだった。


レイディとヴァルは自分の心に正直に生きる=「野生」になることについて、自分の状況から「出来ないでいる自分」との葛藤があって悶えているわけだけど、そこへラスト、キャロルが出てくるだけでスッと収まってしまう。それは彼女が「野生」であるから。

「こんな土地にも野生は残ってる…。昔野生があった、男と女には野生があった、心に野生のやさしさがあった、お互いに。でもいまはネオンに毒されている。」

「ねえ、あの女たちが何言ってるか聞こえる?腐ってるって!」

「気にしなければいい。」

「できるわけないじゃない!」

「じゃあどうしてそんな派手な化粧をする。どうしてそんな服を着る。」

「見てほしいからよ!目立ちたいの!私を見てほしい!感じてほしい!私がここに生きていることを知っていてほしい!」

「手に届くものなら、全力で掴まなくちゃ。」

「あそこは死んだ者の声が聞こえるのよ。死者たちが小鳥のようにさえずるの。なんて言ってると思う?死者たちが口にするのはたった1つだけ。『生きろ』『生きろ、生きろ、生きろ、生きろ、生きろ』。死んでわかることはそれだけなのね。『必死で生きろ』。かんたんじゃない。かんたんな教訓よ。」

彼女は誰よりも生にまっすぐで、自分を生きている。差別と偏見の町で、たったひとり、無力な抵抗を繰り返す。必死に主張している。それが他の人たちには異端に見える。

そんなところに紛れ込んできたヴァルを見て、キャロルは希望を抱いた。ヴァルに自分と同じようなものを感じた。だから彼を逃がそうとした。「あなたに危険を知らせにきたの。お願い、逃げて。私と一緒に逃げて。」

ヴァルはキャロルに言う。「俺はあんたとは違う!あんたも、あんたがつるんでいる連中も。俺はそういう生活から足を洗ったんだ!」ヴァルはキャロルをどのように見ていたのだろう。ただ昔の自分に重ねていたのだろうか。それが彼の選んだ道?それとも、ヴァルはただ「来る時も行く時もひとりで、このジャケットを着る」ことを決めていただけか。ヴァルは蛇革のジャケットを着ることで彼の中の野生を守っていたように思う。また、彼の理想の形だったんだろうと思う。


ヴァルは、30歳の区切りに、ギターの流しの放浪生活をやめて職に就くことを望んだけれど、15年間でしみついた習性は消えるものではなくて、ちっともまじめに見えない。「よく言うだろ、女は男の心に火をつける。だが俺は女の心に火をつけることができる。二本足の女なら誰でも。」というヴァルは、「できると言っただけでやるとは言ってない。そういうことからは足を洗ったんだ。」と言いつつも、キャロルをはじめ、レイディやヴィーに情をもたらす。その気がなくても、歩き方、仕草、立ち居振舞い、言葉で。

そういう、この人もてるだろうなー、って思わせる雰囲気を、中河内くんは見事に醸し出していたと思う。あと、中河内くん独特の、まっすぐな純粋さがあって、その純粋性が彼の奥に潜む野生でもあるのかと。中河内くんならではのヴァルだと思う。

あとはやっぱり、声とギター。死神のノックや、警察犬が囚人を噛み殺す音、悲鳴、女たちの金切り声、たくさんの恐怖の音が蔓延る中で、レイディはヴァルの声とギターの音に癒され、救われていたのだろう。キャロルも。


大樹さんがブログで「『杖の音』と『ギターの音』が影と光の対比に思えてワクワクしました」と書いてあって、そうか、なるほど!そうだそうだ、と思った。死神の杖の音は“監獄”から聞こえてきていて、地獄への一歩一歩を表しているような、闇が迫っているような、恐怖に飲み込まれそうな音。対するヴァルのギターは、監獄のような空間にある唯一の癒しの音。希望。

弾き語りは2回あったけれど、中河内くんギターも歌も本当に上達しているように感じた。というか、こういう歌の方が声に合ってるんじゃないかな。とっても素敵だった。


中河内は、柔らかく響くきれいな声質。未熟で不器用な男の役には、青年の憂いが香るあの声が強力な武器だ。ときおり見せる笑顔が母性をくすぐる。

生ギターの弾き語りは2回。稽古の成果は明らかで、ヴァルの孤独が切々と伝わってきた。

保坂知寿もセリフの響きで圧倒する。膨大な量を早口でまくし立てても乱れない、正確で音楽的な美声。コメディエンヌの才能が、実は随所に発揮されていて、陰惨なドラマに束の間の華やぎを用意するのも彼女。

ふたりの愛は、生き急ぐように育まれていく。

登場人物の感情を丁寧に洗い出す岡本健一の演出に、他にはないこだわりを見たのは、音だ。店の2階で死の床につくレイディの夫が、床を杖で叩く不愉快なノックは、恐怖を感じるほどの音量と回数。ギターの音楽が、アメリカ南部の空気感を、ドローンとしたコードで紡ぎ出す。

夜のシーンが多い芝居である。照明は、深い夜の青色、月の灯りのような白色光、夕闇の紅色、室内電灯のさびしい琥珀色、さまざまな夜の色で場面を飾る。

レイディの人生の悲願だったトーランス・カフェの開店日に、妨害者たちの悪意がしのび寄る。その緊迫を追う大詰めの第3幕、劇作家は、容赦なく、愛し合う者たちを衝撃的な結末へ追い込んでいく。そこで起きることについては、書かない。ただひと言、そのとき、照明が照らし出す夜の色は真っ赤である。真っ赤な夜、それがラストだ。 

--チケットぴあより抜粋(http://ticket-news.pia.jp/pia/news.do?newsCd=201212100006)


音と照明は本当にいい働きをしていて、特に印象的だったのが、ラスト。ヴァルがバーナーで焼き殺されていく時、舞台の中心に、またたった一人生き残った“野生”であるキャロルが立っていて、ガラスには炎とヴァルの影が映っている。燃え盛る炎の中で、苦しそうにもがくヴァルという、真紅と漆黒のコントラストがすごく残酷で、目に焼き付けられる。そして、キャロルがヴァルの蛇革のジャケットを羽織ったちょうどその時、ヴァルが息絶えた。


キャロル「野生のものたちはあとに皮を残してく、きれいな皮と歯、真っ白な骨を残してく、これは道しるべ、ひとりまたひとりと受け継いで、だから逃げゆくものたちはいつでも仲間のあとをおっていけるのね……。」


レイディの父もこんな風に死んでいったんだろうか。彼もまた、“野生”だったのだと思う。残った“野生”であり“鳥”であるキャロルは、これからも羽ばたき続けることができるのか。泣きそうになった。こらえた。


ところで、ガラスにある文字を読み取ろうとしたんだけど、鏡文字になってるし、英語わからんしで、結局なんて書いてあるのかわからなかった。いま見てみたら、トーランスって書いてる?なんとかトーランス。


あと比喩が多いのも印象的やったな。さすが戯曲。覚えてる限りやけど。

・小枝みたいだ。二本の指で折れてしまう。

・血管が透き通っている。こんな体を男に抱かれたら枯れ枝みたいにバラバラになってしまう。

・ゆっくりやってくる暴力もある。ゆっくりやってくる台風みたいに。腐っていく。心が腐敗していく。

・波の裏って白いだろ、真珠みたいに。あの子の素肌もそうだった。

・シルクみたいな肌だ。

・もうこんなナイフで刺されるような思いをするのはごめんよ!

・死者たちが小鳥のようにさえずるの。

・赤ワインのように燃えさかる

・ここはまるで製氷機のように寒いわ。

・まるで死神だわ。

・死神と寝ている時の気持ちがわかる!?

・ここが監獄だとでも言うの!?

比喩はやっぱりいいなあ~。そんでこうやって言葉の表現が気になってしまうのは大学で所属してた現代日本語学ゼミ特有の一種の病気ですな~。(笑)


やっぱり理解するの難しいし時間かかるから、感想というか考察みたいになってるけど。(笑) 合ってるかわからんけど、いろんな人の感想とかパンフのインタビューを参考にしつつ、自分なりに解釈してみた。


結論。

キャロル役の占部さん本当に素敵。


中河内くんファンとしては、「地獄のオルフェウス」という作品に出てくれて、よかった。今までと違う中河内くんが見れたし、お芝居も一皮向けてるはず。彼にとって絶対いい経験になったと思う。何様やねんて感じやけど、ほんまに。これからもどんどんこういう作品に出てほしいな。

生ちゅーは、あると知らなくて、何の心構えもせずに観たから、ぎゃー見てしまったー!て思った。(笑)


急遽行われることになったトークショー、ちょうどわたしが行く日で、嬉しかったなー。10分程度やったけど、稽古場の雰囲気とか、色々語ってくれた。ヴァルから一気に普段の中河内くんに戻ってて(座り方が一定しない落ち着きのなさとか(笑)、笑い方とか、喋り方とか)、あー全然ちゃうなあ、すごいなあ、て思いました。みんなそうやろけど。

終わってからロビーに岡本健一さんいらして、びっくりした。ジャニーズの方なんよね?残念ながらまったく知らんかったけど。言われてみればジャニーズっぽいイケメンさんやった。(笑) 

東京芸術劇場は本当にきれいで立派な建物やった。池袋も素敵やし。また行く機会あるといいな(*^_^*)

Be that as it may,

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